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なぜ面談を重ねても不信感が残るのか

  • Reknot Support Center
  • 6月12日
  • 読了時間: 14分

話し合いを重ねれば、互いの理解は深まる。

多くの人はそう考えるだろう。

しかし、面談を重ねるほど不信感が強くなっていくとしたら、

その理由はどこにあるのだろうか。


【目次】


面談とは何のために行われるのか


児童相談所と保護者との間では、様々な場面で面談が行われる。

一時保護中の状況確認、家庭環境の聞き取り、今後の方針の説明、家庭復帰に向けた話し合いなど、その目的は多岐にわたる。児童相談所の業務において、面談は重要な役割を担っていると考えられている。

一般的に、面談とは互いの考えを共有し、状況を確認しながら今後について話し合うための場である。

保護者側には、保護者側の考えや事情がある。

児童相談所側にも児童相談所側の考えや方針がある。

その双方が対話を重ねることで理解を深め、子どもにとってより良い方向を模索していく。そのために面談という機会が設けられているはずだ。

実際に、児童相談所と関わることになった保護者の多くは、面談の場で自分たちの考えを伝えようとする。

なぜそのような状況になったのか。

どのような認識を持っているのか。

今後どのように対応していきたいのか。

保護者は限られた面談の時間の中で、自分たちの考えや思いを伝えようとするのである。

一方で、児童相談所側も面談を重ねながら保護者の状況を確認し、支援方針や今後の方向性を検討していく。

そのため、多くの保護者は「面談を重ねることで状況は前に進んでいくもの」と考えるのではないだろうか。


しかし、実際に児童相談所との面談を経験した保護者の中には、面談を重ねるほど違和感が大きくなっていったと感じる人もいる。


最初は子どものための話し合いだと思っていた。

状況を説明すれば理解してもらえると思っていた。

互いに話し合いながら解決策を探していくものだと思っていた。


ところが、面談を重ねる中で、その認識に少しずつ変化が生じていくことがある。

当センターにも、児童相談所との面談について様々な相談が寄せられている。

その内容は決して一つではない。


しかし、その中には共通して見られる違和感も存在している。


本記事では、児童相談所との面談の場で実際にどのようなことが起きるのか、そして保護者がどのような違和感を抱くことがあるのかについて考えていきたい。


面談で感じた最初の違和感


児童相談所との関わりが始まった当初、多くの保護者は「状況を説明すれば理解してもらえるのではないか」と考える。

事実関係を説明する。

質問に答える。

求められた資料を提出する。

必要であれば面談にも協力する。

そうした積み重ねによって、少しずつ状況は改善に向かっていくと考えるのは自然なことである。


しかし、実際には面談を重ねる中で違和感を抱き始める保護者も少なくない。


その違和感は、強い発言や大きなトラブルから始まるとは限らない。

むしろ、小さな違和感の積み重ねとして現れることが多い。


例えば、一時保護が行われた場合、保護者の多くは一定期間の調査や確認が行われた後、今後の方針が判断されるものと考える。

しかし、まだ十分な調査や検討が行われていないように見える段階で、一時保護の延長を前提とした話が進み始めることがある。


もちろん、個々の事案には様々な事情があるため、一時保護の延長そのものを否定するものではない。

問題は、その判断に至る過程が保護者から見えにくいことである。

なぜ延長が必要なのか。

どのような点が懸念されているのか。

何を確認しようとしているのか。

そうした説明が十分に行われないまま話が進むと、保護者は戸惑いを感じることになる。

また、面談の場では家庭復帰に向けた様々な提案が行われることもある。

保護者側が具体的な改善策や養育環境の提案を行い、それに対して児童相談所側が前向きな反応を示す場面もある。

実際に家庭訪問が行われたり、代替案について話し合われたりすることもある。

そのため保護者は、「この方向で進んでいくのだろう」と受け止める。


ところが、その後の判断が全く異なる方向に進むこともある。


もちろん、最終的な判断には様々な要素が関係するため、当初の提案がそのまま採用されるとは限らない。

しかし、面談の中で交わされた話と最終的な結果との間に大きな隔たりがある場合、保護者は強い違和感を抱くことになる。


話し合いは何だったのか。

提案は本当に検討されていたのか。

面談の場で交わされた言葉はどのような意味を持っていたのか。

そのような疑問が生まれるのも無理はない。


児童相談所との面談における最初の違和感は、必ずしも対立や衝突から生まれるわけではない。

むしろ、話し合いが進んでいるように見える中で、少しずつ生じる認識のずれから始まることが多いのである。


面談で交わされる言葉と現実


児童相談所との面談では、様々な言葉が使われる。

「子どものため」

「安全の確保」

「今後について一緒に考えていきたい」

「保護者の考えも聞きたい」

こうした言葉そのものを否定するつもりはない。

実際に、子どもの安全や利益を考えることは重要であり、関係機関が慎重に対応しなければならない場面も存在する。


しかし、保護者が違和感を抱くのは、言葉そのものではなく、その言葉と現実との間に距離を感じる時である。


例えば、面談では保護者の意見を聞く姿勢が示されることがある。

養育環境について説明する。

家庭復帰に向けた考えを伝える。

祖父母による支援体制について提案する。

安全対策について説明する。

保護者は、自分たちなりに考え、準備し、面談の場で伝えようとする。

児童相談所側もそれを聞き取り、時には前向きな反応を示すことがある。

そのため保護者は、「話し合いが進んでいる」と感じる。


ところが、時間が経過しても状況が変わらないことがある。


新たな提案をしても結果は同じ。

説明を重ねても判断は変わらない。

面談を繰り返しても状況は前進しない。

そうした経験を重ねると、保護者の中には別の疑問が生まれる。


面談で交わされる言葉は、どこまで実際の判断に反映されているのだろうか。

保護者の意見は本当に検討されているのだろうか。

話を聞くことと、意見を反映することは同じではない。

面談の場で発言する機会があることと、その内容が判断材料として扱われることも同じではない。

保護者が求めているのは、自分たちの主張を全面的に認めてもらうことではない。

少なくとも、自分たちが伝えた内容がどのように評価され、どのように検討されたのかを知りたいのである。

しかし、その過程が見えないことも少なくない。

面談では様々な言葉が交わされる。

だが、保護者が知りたいのは言葉そのものではない。

その言葉が実際にどのような意味を持ち、どのような判断につながっているのかである。


もし、その部分が見えないままであれば、面談を重ねるほど不安や疑問が大きくなっていくこともあるだろう。


面談は本来、互いの理解を深めるための場である。

しかし、言葉と現実との間に大きな隔たりが生じた時、その面談は保護者にとって別の意味を持ち始める。

それは対話の場ではなく、「話は聞いてもらえるが、何も変わらない場」として受け止められてしまうのである。


面談の場で起きる圧力とは何か


児童相談所との面談について語られる時、「話し合い」という言葉が使われることが多い。

確かに、面談は形式上、双方が席に着き、意見を交わす場である。

しかし、実際に面談を経験した保護者の中には、その場を単なる話し合いとは受け止められなかった人もいる。


なぜなら、そこには「見えにくい力関係が存在する」からである。


児童相談所は、子どもの保護や措置に関する権限を持っている。

一方で、保護者は子どもと離れて生活しながら、その判断を受け入れざるを得ない立場に置かれることがある。


この時点で、両者は決して対等な関係ではない。


そのため、面談の場で発せられる言葉は、一般的な話し合い以上の重みを持つ。


実際、面談の中では穏やかな雰囲気で進むこともある。

雑談が交わされることもある。

子どもの様子について笑顔で話す場面もある。


その一方で、ある話題に触れた瞬間に空気が変わる。


それまで穏やかだった担当職員の対応が急に厳しくなる。

口調が変わる。

態度が変わる。

表情が変わる。

それまで落ち着いていた場が、一気に緊張感を帯びることがある。


もちろん、児童相談所側にも伝えなければならないことはある。

保護者にとって厳しい内容を説明しなければならない場面もあるだろう。


問題は、その伝え方である。


保護者が疑問を持った時。

判断に納得できないと伝えた時。

自らの権利を行使しようとした時。


その瞬間に強い圧力を感じたという声は少なくない。


当センターにも、「話し合いというより、一方的に結論を伝えられているように感じた」「質問をすると空気が変わった」「意見を述べた途端に態度が厳しくなったように感じた」という相談が寄せられている。

もちろん、すべての児童相談所職員が同じ対応をするわけではない。

しかし、保護者がそのように受け取る場面が存在していることも事実である。


また、面談を重ねる中で、職員によって説明の仕方や対応に大きな差を感じることもある。

ある時は丁寧に話を聞いてくれる。

ある時は強い口調で結論を示される。

ある時は親身に見える。

ある時は距離を感じる。

その変化に戸惑う保護者も少なくない。


本来、面談とは相互理解のための場である。


しかし、保護者が自由に意見を述べることにためらいを感じるようになった時、その面談は本来の役割を果たしていると言えるのだろうか。


児童相談所との面談において重要なのは、保護者が児童相談所の意見に従うことではない。

保護者が安心して自分の考えを伝えられることである。

たとえ意見が異なったとしても、疑問を口にしたとしても、それによって不利益を受けるのではないかという不安を抱かせないことが重要である。

面談の場で生まれる圧力は、必ずしも大声や威圧的な言動だけを指すものではない。

立場の違い。

権限の違い。

発言の重みの違い。

そうしたものが積み重なった結果として、保護者が圧力として受け止めることもある。

だからこそ、児童相談所との面談には、単なる説明の場以上の慎重さが求められるのである。


面談は本当に対話になっているのか


児童相談所との面談は、保護者と児童相談所が互いの考えを確認し、今後について話し合うための場として位置付けられている。

そのため、多くの保護者は面談を重ねることで理解が深まり、少しずつ状況が前進していくことを期待する。

実際、面談の回数は少なくない。

定期的に呼ばれることもある。

同じ内容について繰り返し確認が行われることもある。

外から見れば、十分に話し合いの機会が設けられているようにも見える。


しかし、面談の回数が多いことと、対話が成立していることは必ずしも同じではない。


対話とは、本来、互いの考えを伝え合い、その内容を踏まえながら理解を深めていくものである。

もちろん、すべての意見が採用される必要はない。

児童相談所と保護者の考えが異なることもある。

それ自体は自然なことである。


問題は、保護者が何度説明しても状況が変わらない時である。


同じ説明を繰り返す。

同じ質問に答える。

同じ内容を何度も伝える。

それでも結論が変わらない。

その状態が続くと、保護者は次第に疑問を抱くようになる。


この面談は何のために行われているのだろうか。


自分たちの話は本当に聞かれているのだろうか。

既に結論が決まっているのであれば、この話し合いにどのような意味があるのだろうか。

こうした疑問は、決して特別なものではない。


当センターにも、「何度説明しても状況が変わらない」「毎回同じ話をしているように感じる」「面談の目的が分からなくなった」という相談が寄せられることがある。

面談が長期間続くほど、その傾向は強くなる。

保護者としては状況を改善したい。

児童相談所としては状況を確認したい。

本来であれば、その過程で何らかの前進が見えてくるはずである。

しかし、保護者から見ると、毎回同じ内容を確認されるだけで、具体的な変化が見えないこともある。

その結果、面談そのものが目的になってしまっているように感じる人もいる。


また、対話には信頼関係が必要である。

相手が自分の話を聞いてくれている。

自分の言葉が正しく受け止められている。

そう感じられるからこそ、人は本音を話すことができる。


しかし、その信頼が失われた時、面談は単なる確認作業へと変わってしまう。

話すことはできる。

しかし、伝わっているとは感じられない。

質問はできる。

しかし、納得できる回答は返ってこない。

その状態を対話と呼べるのだろうか。

児童相談所との面談において本当に重要なのは、面談の回数ではない。

保護者が「話を聞いてもらえた」と感じられること。

そして、互いの考えがどのように判断へ反映されているのかが見えることである。

面談が単なる手続きではなく、対話として機能しているのか。

その視点は、今後の児童相談所の運営を考える上でも重要な課題の一つではないだろうか。


児童相談所との面談で見えてきたもの


児童相談所との面談は、本来、保護者と児童相談所が互いの考えを共有し、子どもにとってより良い方向を模索するための場である。

そのため、多くの保護者は面談に真剣に向き合う。

状況を説明する。

質問に答える。

改善策を考える。

家庭復帰に向けた提案を行う。

子どものためにできることがあるのであれば協力したいと考える。

だからこそ、面談には大きな意味がある。


しかし、面談を重ねる中で違和感を抱く保護者も少なくない。


説明しても状況が変わらない。

提案しても結果が見えない。

話し合っているはずなのに、どこへ向かっているのかが分からない。


そのような状況が続くと、保護者は次第に別の疑問を抱くようになる。


それは、「面談は本当に対話になっているのか」という疑問である。


対話とは、単に言葉を交わすことではない。

互いの考えを伝え合い、その内容を踏まえて理解を深めていくことである。

もちろん、すべての意見が採用される必要はない。

保護者の希望が必ず実現されるとも限らない。

しかし、対話である以上、そこには相手の意見を受け止め、検討し、その結果を説明する過程が必要である。


もし、どれだけ説明をしても状況が変わらないのであれば。

もし、何度提案をしても結果だけが繰り返されるのであれば。

もし、面談を重ねても方針が見えないのであれば。


保護者が対話ではなく、確認作業だと感じるのは自然なことだ。


児童相談所職員にとって、面談は日々の業務の一つかもしれない。

しかし、保護者にとっては違う。


子どもの将来。

家族の将来。

家庭復帰の可能性。

その全てが関わる極めて重要な時間である。


だからこそ、そこで交わされる言葉には大きな責任が伴う。


面談が本当に対話のための場であるならば、保護者の声はどのように検討されたのか。

なぜその判断に至ったのか。

面談で交わされた内容はどのように反映されたのか。

その過程について具体的な説明が求められるのは当然である。


面談は本来、保護者と児童相談所が互いの考えを共有し、理解を深めるための場である。


しかし「保護者が繰り返し違和感を抱き、説明に納得できず、不信感ばかりが積み重なっていくのであれば」その面談は、本来の役割を果たしていると言えるのだろうか。


もちろん、児童相談所と保護者の意見が一致しないことはある。

判断が異なることもある。

それ自体は問題ではない。

問題は、その過程が見えないこと、そして対話を重ねても疑問や違和感が解消されないことである。


児童相談所との面談で起きる出来事は、それぞれ異なる。


しかし、面談を重ねる中で、違和感や強い不信感を抱く保護者が存在していることも事実である。


その違和感は、一部の家庭だけに起きている特別な問題なのだろうか。

それとも、児童相談所という仕組みそのものが抱える課題なのだろうか。


面談は、本当に対話になっているのか。


その問いについて、改めて考える必要があると言える。

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